日記

日記です

早熟に越したことはない

「早熟の天才」と聞くと、結果大成しなかった、儚い存在を想像します。

「大器晩成」と聞くと、最終的に何かを成し遂げた、質実剛健な成功者を想像します。

 何だか、人間「早熟」より「晩成」が良いと、世間的には考えられているなかなと思います。実際その方が良いのかもしれません。

 だけどこれは、言葉のマジックというか、いかさまというか、非常に、勘違いしてはいけないことだと思います。

なぜなら、 「早熟」「晩成」というのは、最終的な結果を見ないと判別できるものではないからです。「早熟の天才」とは「若い頃は天才的だったが、長じて輝きは失われた」的なニュアンスで、「大器晩成」とは「若い頃は劣っていたが歳とともに成長し、ついには秀でた存在になった」てきなニュアンスに思います。つまり、どちらも彼らのストーリーが終わってからの判別なわけです。

  だから、目下毎日を精一杯に過ごしている私たちに対し、そういった言葉を当てはめることはできないと思いますし、同じ習得するならなるべく若いうちからできた方が、絶対にいいと思います。

 昔読んだ本の中に、「20歳でみんなが出来てることが出来なくても、30歳になった時に出来ていれば良い」みたいな事を言う人がいて、自分も好きな作家さんだったので、当時は素直にそうなんだ、と思ったりしてましたが、いったい何を根拠に言っていたのか、今は全く賛同できません。

 10年間もバカやってたらその後覆せないと思います。なるべく早く出来るようになるために、苦しんだりもがいたりしないといけません。

 「若くして天才」であるに越したことはないのです。